家具工場//店舗用什器の中国家具工場「阿谷木業」は、日本と同水準の生産製作・検品管理体制と安価な価格で、海外進出をされるお客様の夢と信頼と信用そして中国ビジネスの成功をご提供致します。

1960年7月27日早朝 埼玉県飯能市に生まれる
父良郎、母昭子の長男として。
父良郎は木工職人、同居の祖父甫(ハジメ)は初代であるので、私が3代目と言うことになる。
とても体が小さく、体力もなく、幼稚園は欠席ばかりで今とは正反対。
勉強したことなし!低学年では動物や植物や昆虫の観察ばかり。高学年になると毎日マラソン。何も考えず毎日走り続けた。今思い出すと笑ってしまう。
学力なし、マラソンばかりで技術無しと言う自分自身の特徴に気付き慌てる。女の子にもてる方法も考え、テニス部に入部。持ち前の集中力(人には凝り性と言われる)から、みるみる上達。1年で県体会ベスト8に。そう言えば勉強しないが何故か珠算は2級を小学6年で取得していた。やはり凝り性というのが本当かもしれない。
この時期に人生を変える2人の友人と出会った。
一人はテニスでダブルスを組んだS君。どんなに虚弱体質な私でも、パートナー次第で夢が実現できる可能性を教えてくれた。1+1=2ではないことを!
もう一人はM君。彼は超秀才。天才と秀才の違いを教えてくれた。小さな努力の積み重ねの大切さを思い知らされた。ノンキな性格を変える切っ掛けになった。それと何より人への思いやりということを教えてくれた。
この頃からだろうか、人への観察力が身に付いたのは。人に優しくすると、自分も他人も周りの状況も見えてくることを学んだ。中学校へ行ってよかった!
そしてもっと多くの人と合うために進学に興味を持った。初めての勉強である。まず目標を、そして年間計画を。持ち前の凝り性で成績はグングン!!
もう2度と勉強はしたくないため、大学の付属高校へ入学。今度は水泳バカに。ここで体力をつけた。高校時代に体力を付けたことを自慢してもとよく言われる。しかし私は自慢できる。今の自分があるのはこの体力のお陰だからだ。私の最大の武器だ。さらにこの水泳を通して時間を学んだ。1分1秒は人生を変えることもあり、もう戻らない過去という物を作ってしまうこともあることを。
また私は松尾芭蕉に興味があり、芭蕉研究部を高校時代に作ったこともある。俳句だけでなく、短歌も好きである。
とても内気で虚弱体質だった私が、見事にイメージチェンジを。まず後悔をしないように1年と決めて、とにかく遊び回った。2年目からは、今まで学んだことを社会で実践してみたくなり、いろいろと手を出した。
新聞配達、スーパーマーケットの夜間フロアー長など。などと書いたのは、活字にすると少しまずい物もあるのでご勘弁を。(笑い)
卒論は、世界大恐慌時代の金融について。この時期からお金が好きなり、そんな自分を大切にしたくなった。
まず3代目の私は、自然に家業を継ぎ3代目となった。その後即社長に就任。工場の規模を変えずに売上を2倍にする方法を考えた。勿論利益率もアップさせながら。結果3倍に。
自分の人生を振り返り、勉強を通して可能性と物事の考え方を学んだ経験を1人でも多くの子供たちに体験してもらいために学習塾を開いた。持ち前の体力に物を言わせ、毎日広告配りで、半年で120人の生徒を集めた。今も中国で職人集めは私がビラ配りをして集めている。特技と言うものは、何時でも何処でも活かされるものである。
授業が終わると生徒たちは『塾長!』といって私のもとに集まる。そこで彼らに私の人生観について毎日語り続けたものである。テーマは必ず『夢』であった。
25歳で海外進出を目指した私は、まず日本で輸入商社を設立した。家具インテリアを輸入し卸し販売する会社だ。ターゲットはアメリカ家具だった。なぜなら売れていないからである。なぜなのか?やってみたらやはり売れた!!
次に目指すは海外出展。アメリカ、台湾、フィリピン、マレーシアと渡り歩き、この地中国へ上陸したのは8年前。広東省からだった。アメリカ向け商品が多かったからだ。アメリカ家具を中国から直接安価に輸入し卸す。これも大当たり。段々面白くなってきた。
しかし仕事として何かが足りない。その思いは日々募ってくるばかり。思い切って日本の輸入商社と工場を他人に譲り、単身上海に引っ越し、輸出商社を設立した。仕事を家具小売ルートから離脱し、現場対応の特注家具とそれに伴う特注建材の製作輸出に的を絞った。その当時は、この仕事が少なかったためか、やはりこれも大当たり。しかし、工場管理の難しさは売上に比例して増えるばかりだった。
自社工場立ち上げへの決断には、あまり時間が掛からなかった。なぜなら1番得意とする分野だからだ。まず200平米の空き倉庫を借り、中古の機械を路上市場で買い集め、職人3人の工場からのスタートだった。20万円の初期投資。お金を掛けないのは昔から得意である。機械は悪くとも何とかなるもの。半年で稼いだお金で1500平米の工場に移転。さらに半年後3,000平米の工場へ。そして僅かその3ヵ月後に6,000平米の工場へ移転。まさしくチャイニーズドリーム、激動の年だった。
人との会話。
パープル ピンク
バラ
海
イチゴヨーグルト カツ丼
1番
2,7
ビジネスを教えてくれた祖父、それを見守ってくれた父
育つ夢を持ち続ける人生を送ること
幼稚園から同級生の妻
努力家の長女の晴香
私に性格が似ている次女の翠
メチャ明るい性格の三女の季恵
しっかり者の末っ子の奏代
大切な母の昭子
あなたの作品でどれだけの人が笑ったり、泣いたり、喧嘩したり、喜んだりしているかを想像しなさい。あなたは物を作る喜びを味わえる最高の人生を送っているのです。胸を張って。私と共に進みましょう。
自分がして欲しいことは、必ず人もして欲しいのです。人に何かを要求する前に、まず自分から行動に移りましょう。そうです、人にまずしてあげるのです。そして笑顔を忘れずに。楽しい所には必ず人が集まりますから。
何事も一生懸命やりなさい。一生懸命やれば大抵の事は何でも出来ます。そして一生懸命やれば必ず誰かが助けてくれます。なぜなら一生懸命やれば楽しくなるから。
夢を持ち続けていますか。人生における最大の不幸とは、夢を実現できなかったことではありません。叶えたい夢が見つけられなかったことです。夢を持ちなさい。そして夢を育てなさい。
最近ローラーブレードの練習をしています。それは1年後には歩いて回れないほどの大きな工場に育っているからです。私は必ず夢を叶えます。なぜなら夢をはっきり文字で書くことが出来るからです。私は夢を書き続けます。
生年月日
幼児期
小学時代
中学時代
高校時代
大学時代
鈴木木工所
アルファ教室
アークエンタープライズ
阿客経貿有限公司・愛閣旺経貿有限公司
阿谷木業有限公司
趣味
好きな色
好きな花
好きな場所
好きな食べ物
好きな言葉
好きな数字
尊敬する人
夢
家族
職人さんへ一言
事務職、営業職へ一言
子供たちへ一言
最後に
<< 鈴木隆義のプロフィール >>
当サイトに掲載されている記事及び写真の無断複写・転送はお断りします。
Shanghai ARK Furniture CO., LTD